『「みんな」のバカ - 無責任になる構造』 仲正昌樹

 

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きっと安倍首相の現在の気持ちが、この書名ではないでしょうか。



それにしても今回の参議院の選挙結果。ついこの前、衆議院選挙で歴史的大勝利をした自民党が、今度は歴史的大敗北…。



安倍自民党が負けた要因を挙げるのには苦労しませんが、社会が短期間に変わったわけではないのですから政治の厳しさを痛感します。





小泉首相時代の、衆議院選での大勝利の立役者、今回も見事一人区で当選を果たした世耕弘成氏の『プロフェッショナル広報戦略』をご紹介しましたが、今回はどうにもならなかった、広報がどう戦略をねろうとも手に負えない事件が次々とあったということでしょう。





さて、今回もタレントを含め、さまざまな経歴の方が出馬されましたが、 「みんな」 の代表として選ぶのが選挙ですが、選ばれるのはもっとも「みんな」とかけ離れたような性格の人ばかり だと思いませんか。





本書の副題は 「無責任になる構造」です。ヘンな題名で、筆者も認めているように、ややとりとめのないエッセーのような、現代思想入門のような一冊ですが、おもしろく読めました。 



私たちが頻繁に用いる「みんな」という言葉についての考察です。



どうご紹介したら良いのか迷ってしまいますが…、 「みんな」という言葉は、社会における無責任体性をもっとも象徴的に表している言葉という認識でしょう。みんなで首相に推薦したけど、流れが変わればみんなで降ろそうとする。



「みんなで決めようよ」 とか 「赤信号みんなで渡れば〜」 と言う時は、当然、自分もみんなに入りますが、「みんなが私をいじめる」とか 「みんな分かってくれない」 の時は自分はみんなには入っていません。 



その都合によって “We” にも “They” にもなる言葉を日本人は使い分けているのですが、いつも変わらずに存在する 「私」 は 「みんな」 なるものをどのように意識しているのか、あるいは無意識に影響を受けるのでしょうか。





例えば、「みんな」とは違うんだというところを見せたくて、ファッションでも、情報でも競って手に入れようとする時、それこそまさに「みんな」に向かって自分を受け入れるように働きかけているという矛盾が起きます。わかりますかね



以下が目次です。





1章 「みんな」って誰?(「みんなやっていることやないか!」;「赤信号」の法則 ほか)

                        


                        2章
 「みんな」の西欧思想史(法とは「みんな」の意志である;「みんな」による「みんな」の支配・全体主義 ほか)

                        


                        3章
 「みんなの責任」をどうするか?(「みんなの責任」の範囲;「自分で語ることのできない他者」への「責任」 ほか)

                        


                        4章
 「みんな」と「わたし」の物語(「みんな」から押し出された「わたし」;「わたし」が「みんな」から目覚める時 ほか)

                        


                        5章
 そして、「みんな」いなくなった!(「みんな」はいつまでも「みんな」なのか?;危ない時に出てくる「みんな」 ほか) 




私は仲正氏の本が結構好きなのですが、本書はあまり評判がよくないようです(笑)。先日ご紹介した、『新書365冊』 の中で、宮崎哲弥氏が評価していた程度でしょうか。



ただ、選挙のたびに、投票率を聞くたびに思い出す一冊です。この紹介文こそ“とりとめのない”ものになってしまいましたが、目次がおもしろそうだと思われましたら、手に取ってくださいね。 







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ランキングこそ下がりましたが、こうして毎日多くの方に見ていただけると思うと、申し訳ないやら、ありがたいやら…。できる限り、きちんとした記事をUPしたいと思っております。がんばります!







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「みんな」のバカ! 無責任になる構造 (光文社新書)

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