『悪の対話術』 福田和也



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さまざまな場面での会話、言葉遣いなど、自分はいつもどのくらい気を配っているでしょうか。あらためて聞かれるとどう答えたら良いのでしょうか。一応、言葉には気を使っているつもりでもあるようで、気軽に話すことも始終ありますから。



もちろん面接試験や何かのスピーチをしたり、原稿を書いたりする時などは、誰でも最大限に言葉遣いに慎重になるでしょうが、本書では常にその気持ちを維持すべきだと主張します。



私も言葉の大切さはどれだけ強調してもし過ぎることはないと信じておりますが、筆者のように、普段の会話から、それを意識的に、友人はもちろん夫婦や家族であっても相手の気持ちを推し測り、言葉を選んで話すということは、そう簡単に実践できるものではないでしょう。





言葉や会話が生き方そのものだというレベルにまで意識を高めているとでも申し上げれば良いのでしょうか。



ただし、単に “人の気分を害さないために” 言葉に気を付けようとか、口は災いの元だからね、というような生やさしいことではありません。





題名が示すとおり、意図的に “悪” であっても、すべての会話を意識して行うべきであるという意見です。ですからお世辞の使い方から、悪口の言い方、挨拶の意味、うわさの流し方などなど、すべて会話には常に意識を集中し緊張して当たれと説いています。こういう主張は初めて耳にしました。





目次をご紹介しましょう。





対話とその悪



お世辞について



悪口について



虚偽と韜晦



礼儀と挨拶



敬語について



社交と立場



紹介と自己



多弁と無言



観察と刺激



焦りと緊張



話題について



結び―言葉の快と悪と 





人と真正面から向き合えない、携帯電話を手放せない若者たちに対しても対話の意味、そして人生における対話の意味を説きます。悪口、お世辞などの実例が載っていて楽しく読めますが、賛同できるかどうか、読者によってかなり意見が分かれるかもしれません。



私も言葉は大切だと思っていても、いつも長電話をするとか、おしゃべりが大好きという性質ではないので、正直、会話がついつい面倒くさいと思うことがあります。が、それを筆者はたしなめます。みなさんはどうなんでしょう。





ひとつ、挨拶に関して、私がいつも生徒たちに言っているのと同じような一節があってびっくりしました。この部分は思わずひざを打ちました。



『男の子であれば、挨拶がきちんとできて、時間を守ればそれだけで何とか生きてゆける』 



というものですが、どうでしょう(笑)。





P.S. このブログでは以前に、福田氏の 『魂の昭和史』 と 『総理の値打ち』 を取り上げました。よろしければご覧下さい。それにしても氏の著作はどれも刺激的です。







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