『死ぬための教養』 嵐山光三郎

 

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筆者の嵐山光三郎氏は昭和17年生まれ、『笑っていいとも!増刊号』 に出演していましたからおなじみでしょう。昨日紹介した、『新書365冊(宮崎哲弥)』 の中でも本書が取り上げられており、評価は BETTER (BESTのひとつ下) でした。



ちなみに、その同じ章にあって、以前ご紹介した 『教養としての「死」を考える(鷲田清一)』の方が、私には印象的だったのですが、宮崎氏の評価は同じ BETTERでした。



本書と鷲田氏の著作はタイトルがそっくりですが、内容はまったく違い、こちらは読書案内として読める一冊です。その刺激的なタイトルでつい読んでみました。本の帯には「『宗教』なんてもういらない。いかに死ぬか、それが問題だ」 とあります。





嵐山氏はこれまで5回、“死にかけた” ことがあるそうで、その治療中、病床で死を意識しながら読んだ本の数々が紹介されています。



その5回がそのまま章立てに使われています。






第1章 一九八七年、四十五歳。生まれて初めての吐血(血を吐いた程度じゃ死ねない(『ミニヤコンカ奇跡の生還』)

物としての自分か、あるいは生命としての自分か(『死をめぐる対話』) ほか)



第2章
 一九九二年、五十歳。人生を一度チャラにする(全勝なんて力士には興味ない(『人間 この未知なるもの』)

芭蕉が最後にたどり着いたのは、「絶望」(『芭蕉の誘惑』) ほか)



第3章
 一九四五年、三歳。初めて死にかけた(作家が書いたものはすべて、小説という形を借りた遺書である(『豊饒の海』)

川端康成の小説にせまりくる人間の死(『山の音』) ほか)



第4章
 一九九八年、五十六歳。ふたたび激しく吐血(そうだ、生きていたいのだ(『大西洋漂流76日間』)

死ぬときは、みんな一人(『たった一人の生還』) ほか)



第5章
 二〇〇一年、五十九歳。タクシーに乗って交通事故(人の一生も国の歴史も川の流れと同じ(『日本人の死生観』)

遺族には、長い悲しみが待っている(『死ぬ瞬間』) ほか)





以下は、そのあとがきの一部です。



『長い闘病生活のはてに死ぬ人も多く、いまの時代に求められるのは、自分が死んでいく覚悟と認識である。来世などあるはずがない。いかなる高僧や哲学者でも、自己の死をうけいれるのには力がいる。いかにして悠々と死んでいくことが出来るか。いかにして安心し自分の死を受容することが出来るか。自分を救済しうるのは、使いふるした神様や仏様ではなく、自分自身の教養のみである。



祖母は、九十九歳のときに「いままで好きなことをしてきたから、この世に未練はないが、死んだことはないから、死ぬとはどういうことなんだろうねえ」と言いながら死んでいった。こうなると死ぬことが愉しみにさえ思えてくる。死への考察は、人間の最高の興味の対象であろう。 』





ホスピスの本をはじめとした、医学関連の本。三島由紀夫の小説、宮沢賢治などなど46冊。非常に幅広く紹介されており、楽しく読めました。実際に本書を読んで購入した本も何冊かあります。





宮崎氏の書評によれば、本書は “看板に偽りあり” だそうです。というのは、竹内久美子氏のような、怪しい科学に感心しているのが気になるということ。また、“死には尊厳などなく、生にもない” という認識に達するのは、教養の出口であり、逆に宗教の入口だというわけです。なるほど、おもしろい見方です。





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