『冑佛(かぶとぼとけ)伝説』 河村隆夫



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長い休みが終わりました。(当塾は関係ありませんが…(笑)。) お休みモードから勉強モードへ切り替えるにはピッタリの一冊かも。





端午の節句に飾る“兜(かぶと)”、もちろんそれは昔の武士が合戦に際して、攻撃などから身を守るために付けていたわけですね。彼らは戦場で命をかけて戦うわけですが、どれほど屈強な武将であったとしても、そこは戦場、敵が倒れ仲間が死ぬのを目の当たりにすれば、自分の存命を神仏に願うのは自然でしょう。





ラソン選手だってパンツにお守りを縫い付けたり、受験にだってお守りを持っていく日本人のこと、その昔、戦国武将らも、自分の兜に本当に小さな仏像(2・3センチ) をお守りとして付けていることがあったそうです。





それを兜佛(かぶとぼとけ)というのだそうですが、それにまつわる大変興味深い一冊で、静岡にある旧家の河村家(筆者のご自宅が市の指定文化財)に伝わる兜佛をめぐるドラマが描かれています。





“兜佛” というものをご存知の方は少ないでしょう。というのは本書の著者である河村氏は、代々自分の家に伝わるその兜佛について調べようと、多くの専門家に当たりますが、その多くが “聞いたことがない” と答えたそうですから。





河村氏は、祖母から聞かされていた、家に伝わるご先祖様の兜佛の話を、以前から面白半分に来客にしていたようですが、ある人から、“似たようなものが小田原城にも展示されている” と聞き、ひょっとしたら、手許にあるこのポケットサイズの小さな仏像は、河村家だけの記念品ではなく、歴史を彩るひとつの証しになるかもしれないと気付き、調査に乗り出します。





ところが、いざはじめたものの、それは困難を極めます。甲冑などの専門家ですら見たこともないし、聞いたこともないと拒絶されてしまい、素人である筆者では、権威ある専門家の見解を引っくり返すすべはありません。専門家に嘲笑されて落胆、田舎の一凡夫が抱いた歴史ロマンに過ぎないのか、冑佛を世に出すなど、身分不相応な大それた夢だったのかと…。





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『兜佛があるなら記録があるはずです』。つまり、小田原城や他に似たものがあっただけではダメで、公式文書にその記載がなければ、素人の論文など扱えないと突き返されてしまいます。





それでも諦めず、わずかな協力者と運を頼りに、今にも切れそうな細い糸をたぐるように地方の博物館やら教育委員会やら専門家のもとをまわります。もちろん空振りも多かったでしょうが、その中で、確かに戦国武将たちの間で、そんな習慣があったことが分かってきます。





いくつか似たような小さい仏像が残っており、全国バラバラに散らばってはいても、冑佛はまぎれもなく歴史の中にしっかりと存在していたということが分かってきたわけです。





そして、ついに筆者が入院中に病室で調べていた古文書の中に、その記述を見つけます。公式文書に出会ったわけで、数百年に渡って闇に放っておかれた兜佛が、伝説通りに存在していたことが証明され、河村氏が表舞台に登場させたことになります。





冑佛の話題が、テレビで取り上げられると、今度は逆に、全国から冑佛を持っているという人などの問い合わせの電話や手紙が殺到します。やがて、NHK大河ドラマ 『利家とまつ』の1シーンにも映し出されるという顛末を描いた一冊なのです。





兜佛という神秘の世界の扉が、数百年後、ついに開かれるまでの数奇な道筋、筆者の、雑念と戦いながら兜佛の歴史の穴だけでなく、自分の人生に対する空虚感を埋めるかのような心理描写。





先が見えない悪戦苦闘の中で、まるで、御先祖様や兜佛が導いてくれたかのような、不思議な出来事や幸運などが重なりあい、最後に多くの名だたる武将が登場してくるさまは圧巻です。





河村氏はかつて小説家を志された時期もあったというだけあって、博識で表現も豊富なので、私は引き込まれました。その上、塾で教えていらっしゃる!つまり私と同業でもあるんですね。心でエールを送りながら読みましたよ(笑)。



古文書などが出てきますので、そこに書かれていることは易しくはないのですが、歴史に興味のある人にはおもしろく読めると思います。ぜひどうぞ。





胄佛伝説



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